木曽路・興禅寺

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興禅寺
人 物 名
備 考
木曽義仲興禅寺は永享6年(1434)に木曽信道が木曽義仲の追善供養の為に創建された臨済宗妙心寺派の寺院です。境内に義仲の供養塔が建立されています。
巴御前・巴御前により義仲の遺髪が納められ、後に義仲の供養塔が建立された。
木曽義康・境内に義康の墓碑が建立されています。
木曽義昌・境内に義昌の供養塔が建立されています。天正9年2月(1581)に禁制発布。
山村良勝・興禅寺は山村家歴代の菩提寺で墓碑が建立されています。
細川幽斎・天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原の役の際、小田原城周辺に着陣したものの、重い病の為に戦が出来ず、暇を貰い領地に戻る途中、木曽路を通り興禅寺を立ち寄っています。境内に著書である「東国陣道記」の石碑が建立されています。
貝原益軒・貝原益軒は貞享2年(1685年)に木曽路を旅し、福島宿を訪れた際、町家は120〜130軒程度で、木曽路や信濃路の中では最も良い町と評し、様々な品々が売買され、幕府の関所(福島関)、興禅寺があり山村氏が支配していると紹介しています。
種田山頭火・木曽義仲の供養塔の見学。「さくらちりを へたるところ 旭将軍の墓」の句碑が建立されています。
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木曽路・人物一覧
木曽義仲巴御前中原兼遠以仁王木曽義元木曽義在木曽義康木曽義昌真理姫石川貞清山村良勝細川幽斎
松尾芭蕉貝原益軒菅江真澄島崎藤村正岡子規種田山頭火幸田露伴
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