護摩堂(元隆寺大聖院跡)概要: 小菅神社の別当寺院だった元隆寺の大聖院護摩堂は江戸時代中期の寛延3年(1750)に再建された建物で、木造平屋建て、寄棟、金属板葺き、平入、桁行6間、梁間5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内陣の中央には護摩祈祷が行われる祭壇が設置、全体的に意匠的な彫刻などが少ない実用な建物です。元隆寺大聖院の創建は社伝によると白凰年間(645〜710年)に役行者(役小角)が開き大同元年(806)坂上田村麻呂が八所権現本宮と加耶吉利堂を再建したと伝わる古寺です。全盛時は上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊、合計37坊を総括し戸隠、飯綱と並び北信濃三大修験場として広く信仰され大きな影響力を持ました。
戦国時代の兵火により焼失し天文11年(1541)に上杉謙信(越後守護職、関東管領)が再建、永禄10年(1567)の川中島の戦いでも再び焼失しています。江戸時代に入り上杉家が移封されると元隆寺も随行し僅かな衆徒がこの地に留まり再興します。明治時代初頭に発令された神仏分離令により大聖院が廃寺(小菅神社に移行)となり寺宝、仏式諸道具などが菩提院に移され、跡地は護摩堂、池泉回遊式庭園、礎石、石垣を残すのみとなりました。小菅神社護摩堂の境内全域は名称「小菅大聖院跡及び奥社参道」として平成15年(2003)に飯山市指定史跡に指定されています。小菅神社護摩堂は江戸時代中期に建てられた御堂建築として貴重な事から平成29年(2017)に長野県の県宝に指定されています。
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