里社(小菅神社)概要: 小菅神社里社は案内板によると「 かつては八所大権現里宮と呼ばれていたが、明治にいたり小菅社八所大神里神、さらに小菅神社里社に改称された。現在の本殿は万治3年(1660)飯山城主松平忠倶によって改築されたもので、大正12年に大改修が行われて現在の建物となった。付近に神饌殿・神輿殿・神楽殿・神場殿などがあるが、いずれも大正10年から12年に建立・改修されたものである。 飯山市教育委員会 飯山市瑞穂公民館 」とあります。小菅神社里社は、小菅神社奥社の境内の麓に鎮座し、創建は不詳ですが奥社は参拝するのに難儀な為に当地に勧請されたと思われます。
社伝によると大同元年(806)に坂上田村麿により奥社の社殿を再建した際に、麓に別当寺院である元隆寺を創建し、その鎮守社として里社を勧請し平城天皇の勅願所とし、その後、嵯峨天皇の勅願所にもなったと伝えられています。戦国時代に武田信玄の信濃侵攻の兵火により社殿が焼失し、庇護者である上杉家が会津(福島県会津若松市)に移封になると衰退しましたが、江戸時代に入ると再興が図られ、特に歴代飯山藩の藩主が庇護を加え万治3年(1660)には松平忠倶が本殿を改築しています。
明治時代に入ると神仏分離令により仏教色が排され、明治6年(1873)に郷社、昭和8年(1933)に県社に列しています。拝殿は入母屋、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間2間、外壁は吹き放し。本殿は入母屋、鉄板葺、妻入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は素木板張り。石段の前には天保6年(1835)以前に建立された万葉歌碑があり柿本人麻呂が詠った「浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰故わが恋なくに」が刻まれています。祭神:素盞雄尊。配祀:平城天皇、嵯峨天皇。
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