奥社本殿(小菅神社)概要: 小菅神社奥社本殿は天文年間(1532〜1555年)、長尾景虎(上杉謙信:越後国守護、関東管領)が再建したと言われています。奥社の建物は一重入母屋、銅板葺、妻入り、桁行4間、梁間4間、懸造り、内部には2棟の宮殿(一重入母屋、妻入、とち葺、桁行2間、梁間2間、外壁は黒漆塗り、構造部は朱塗り)が安置され、永正5年:1508年に建築されたことが記録に残っています。
小菅神社奥社本殿(附:宮殿2基)は室町時代の大型社殿の遺構として大変貴重な事から昭和39年(1964)に国指定重要文化財に指定されています。
又、社宝も多く、平安時代に制作された木造馬頭観音像(飯山市有形文化財)や室町時代初期の応永13年(1405)に制作された板絵着色観音三十三身図(15面・長野県指定県宝)、天文15年(1546)に制作された桐竹鳳凰文透彫奥社脇立(2面・長野県指定県宝)などがあります。
又、小菅神社奥社までの参道には、隠石(戦国時代の武田信玄と上杉謙信との闘いである川中島合戦の際、上杉謙信が身を隠したと伝わる。)や御座石(小菅神社を開山した役行者や弘法大師空海が座したと伝わる。)、船石、愛染石(愛染明王が鎮座)、蝦蟇石、築根岩(上杉謙信が飯山城を築城の際に千灯を献じた場所。)、不動岩(弘法大師が筆を投げ付け、岩に梵字を筆したと伝わる)などの奇岩怪石が点在し歴史的にも貴重な事から、名称「小菅大聖院跡及び奥社参道」として平成15年(2003)に飯山市指定史跡に指定されています。
奥社社殿の背後の岩窟は白鳳8年(680)に役行者(役小角)が八所権現を祭る社を設け小菅神社を創建したと伝わる旧跡です。
小菅神社奥社参道の杉並木は推定樹齢約300年、幹周約5mの古木など約200本が約600m続く参道沿いに植樹管理され、長野県内では戸隠神社奥社(長野県長野市)の参道に匹敵するとの評価を得て、昭和49年(1974)に長野県指定天然記念物に指定されています。
懸造を簡単に説明した動画
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