御殿山小笠原家廟所(小笠原秀政・貞慶・忠脩:廟所)

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【 菩提者 】 小笠原貞慶は信濃守護職を担っていた小笠原長時の3男とされます。長時は武田信玄の信濃侵攻により大きく後退し、起死回生を狙った天文17年(1548)の塩尻峠の戦いでも自軍の足並みが揃わず敗退し、天文19年(1550)には居城である林城が落城し小笠原家は没落しました。長時は越後の上杉謙信を頼り度々従軍ししたが旧領復帰は果せず天正7年(1579)に貞慶に家督を譲っています。貞慶は一時会津の蘆名家を頼りましたが、その後は織田信長に仕え、織田家の信濃侵攻に従軍し功を挙げた事で信濃国筑摩郡が与えられ復権します。天正10年(1582)信長が本能寺の変で倒れると徳川家康に臣従し、徳川家の信濃平定に尽力し深志城(松本城)を奪還し諸侯に列しました。その後、家康の重臣石川数正の与力になった関係で、数正が出奔し豊臣秀吉の家臣になるとそれに従っています。天正18年(1590)の小田原の役の功で加増されますが、改易になっていた尾藤知宣に力を貸した為に連座し長時も改易となり、再び家康に臣従しています。

貞慶の跡を継いだ小笠原秀政は父と共に家康に従い、家康の関東移封の際に古河領3万石が与えられています。正室は家康の孫娘・登久姫を迎える事で徳川家と関係を深め、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでも東軍として行動し宇都宮城(栃木県宇都宮市)を堅守した功で慶長6年(1601)に飯田藩(藩庁:飯田城)5万石で移封となり初代藩主となっています。

慶長12年(1607)、秀政の跡を継いだ小笠原忠脩は慶長18年(1613)に松本藩8万石で移封となり旧領復帰を果たしましたが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の天王寺口の戦いで討死しています。この戦いでは父である秀政も負傷し、その傷が元で死去したと伝えられています。

貞慶は大隆寺、秀政は臨済寺、忠脩は法性寺に墓碑が建立されていましたがその後廃寺となり荒廃しました。貞享2年(1685)、当時の松本藩の藩主水野忠直を哀れと思い、現在地(浅間温泉)に五輪塔と霊廟(天保12年に焼失)を建立し小笠原家墓所としました。

【 所在地 】 長野県松本市浅間温泉
【 創建年 】 貞享2年(1685)
【 開  山 】
【 開  基 】 水野忠直(松本藩主)
【 山  号 】
【 宗  派 】
【 本  尊 】
【 備  考 】 御殿山小笠原家廟所−松本市指定史跡−指定日:昭和60年
長野県大名菩提寺
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