【 概 要 】−牧野康明は寛政12年(1800)に小諸藩5代藩主牧野康儔と松平直泰の娘(?)との子供として生まれました。文政元年(1818)に従五位下・周防守に叙位・任官し、文政2年(1819)に長兄である小諸藩6代藩主牧野康長が病気で隠居した事を受け養子として家督を継ぎ小諸藩7代藩主に就任しています。文政5年(1822)に内膳正に遷任しています。
康明は病弱だったらしく在位年も8年と短かった為、目立った事績が少なく享保8年(1723)に布引観音(釈尊寺)が火災により焼失した後に多くの堂宇を再建したのが唯一と言ってもいい程です。布引観音(釈尊寺)はその後大きな火災を経験していない事からその当時の姿を見る事が出来ます。
文政10年(1827)7月2日江戸小諸藩邸で急死、享年28歳、戒名:歓照院殿喜誉光月耀山大居士。康明には嫡子が居なかった事から幕府には伏せられ、その間に長岡藩(新潟県長岡市)9代藩主牧野忠精の6男である牧野康命を末期養子として手続きし、それを終えた7月25日を形式上の死没日としました。
康明の墓は小諸城の城内に境内を構えていた牧野家の菩提寺だった泰安寺にありましたが、泰安寺は廃寺となり信越本線小諸駅や操車場建設により堂宇が破却され墓地だけが残されています(泰安寺の仏像や仏具、位牌などは牧野家と縁のあった光岳寺が引き継いでいます)。又、康明の御霊は小諸城の跡地に鎮座している懐古神社に歴代藩主と共に祭られています。
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