水野忠直:概要

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概要・歴史・観光・見所
水野忠直(小野神社)

【 概 要 】−水野忠直は慶安5年(1652)に松本藩の藩主水野忠職と中川久盛の娘との子供として生まれました。万治2年(1659)に4代将軍徳川家綱の謁見を果たし、寛文6年(1666)に従五位下中務少輔となり、寛文8年(1668)父親の死去に伴い水野家の家督を継ぎ松本藩3代藩主に就任しています。貞享3年(1686)に行った重税により藩内の領民が大変困窮した事から多田加助を中心とする大一揆(貞享騒動)が発生し数多くの領民が処刑など厳罰に処されています(多田加助を祭る貞享義民社には水野忠直の御霊も合祀されています)。

延宝8年(1680)、越後騒動により高田藩の藩主松平光長が改易になると居城だった高田城(新潟県上越市)の守備を行い、元禄2年(1689)に高遠藩の藩主鳥居忠則が御家騒動で改易になると居城だった高遠城(長野県伊那市高遠町)の収公を行っています。宝永2年(1705)には江戸の河川工事の助力を行っています。正徳3年(1713)死去、享年62歳、戒名:賢徳院大誉直生全提。

水野忠直は社寺の保護も行い、寛文9年(1669)には水野家の墓守寺である清光寺の寺号を玄向寺に改め本堂と廟所を造営、寛文10年(1670)に松本城の鎮守社が新たに造営される事になった為、旧鎮守社の社殿を若宮八幡神社(松本市)の本殿として移築、寛文12年(1672)には小野神社(塩尻市)の八幡宮本殿、本殿、副本殿、勅使殿を造営、延宝2年(1674)には生母清陽院の懇願により神宮寺(長野県松本市)の薬師堂を造営、天深志神社に延宝3年(1675)に夢想連歌(1箱)、天和3年(1683)には海岸寺の千手観音立像を京都の仏師である浄仁の子息清春に依頼して修復しています。

水野忠直は貞享2年(1685)に小笠原家墓所(松本市:浅間温泉)の五輪塔(小笠原貞慶小笠原秀政・小笠原忠脩)と霊廟を造営、元禄3年(1690)に光久寺(安曇野市)の薬師堂を大旦那として造営、元禄6年(1693)には水野忠職が再興した三才山御射神社秋宮の虚空蔵宮に神像を奉納、元禄9年(1696)に極楽寺参拝の為に山門を造営し参道を整備、元禄11年(1698)に神輿(2基)を寄進、元禄13年(1700)には岡宮神社(長野県松本市)に神輿を寄進、享保元年(1716)には放光寺の境内に蓮華池を造営、その土で山王山を設け江戸日枝神社の分霊を勧請しています。

松本城:写真
水野忠直と縁のある松本城 水野忠直と縁のある松本城 水野忠直と縁のある松本城 水野忠直と縁のある松本城
岡宮神社:写真
水野忠直と縁のある岡宮神社 水野忠直と縁のある岡宮神社 水野忠直と縁のある岡宮神社 水野忠直と縁のある岡宮神社
小野神社:写真
水野忠直と縁のある小野神社 水野忠直と縁のある小野神社 水野忠直と縁のある小野神社 水野忠直と縁のある小野神社
若宮八幡神社:写真
水野忠直と縁がある若宮八幡神社 水野忠直と縁がある若宮八幡神社 水野忠直と縁がある若宮八幡神社 水野忠直と縁がある若宮八幡神社
貞享義民社:写真
水野忠直と縁がある貞享義民社 水野忠直と縁がある貞享義民社 水野忠直と縁がある貞享義民社 水野忠直と縁がある貞享義民社
神宮寺:写真
水野忠直と縁がある神宮寺 水野忠直と縁がある神宮寺 水野忠直と縁がある神宮寺 水野忠直と縁がある神宮寺
高遠城:写真
水野忠直と縁がある高遠城 水野忠直と縁がある高遠城 水野忠直と縁がある高遠城 水野忠直と縁がある高遠城



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