長野県:歴史・人物

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飯山藩主松平家・本多家(忠恩寺)
松平忠倶は寛永11年、本多助芳は享保2年に飯山藩の藩主となり本多家は藩主を歴任。
諏訪忠虎(千鹿頭神社)
高島藩4代藩主で領内社寺の整備に尽力し赤穂事件の吉良義周を預かっています。
石川数正(宗林寺)
幼少の頃から徳川家康に従っていたものの、豊臣秀吉の出奔し松本城主に抜擢された。
伝:武田信玄の終焉の地
元亀4年に京都を目指した武田信玄が根羽村で死去し密かに荼毘に付されたとされます。
仙石秀久(芳泉寺)
豊臣秀吉に重用され小諸城主に抜擢、関ヶ原の戦い後には徳川秀忠の信任を得ています。
佐久間安政(飯笠山神社)
柴田家が没落すると蒲生氏郷、豊臣秀吉に従い大坂の陣で功で飯山藩に入封しています。
塩田北条家(龍光院)
鎌倉幕府執権北条家の有力氏族で、本貫である塩田荘の開発に尽力し大いに栄えました。
真田信政(林正寺)
真田信之の次男で沼田領主3万石を経て松代藩10万石2代藩主に就任しています。
小笠原貞慶(墓所)
武田信玄の侵攻により没落したものの織田信長、徳川家康に従って松本城主に復権。
小笠原秀政(墓所)
徳川家康に従い古河城3万石で諸侯に列し、飯田藩を経て松本藩主となっています。
仁科盛康(若一王子神社)
武田信玄の信濃侵攻により武田家に従い、領内の社寺の保護に努めています。
仁科盛遠(仁科神社:もとどり塚)
後鳥羽上皇に西面武士として重用され承久の乱の引き金となっています。
仁科盛政(松尾寺)
松尾寺の薬師堂を造営し、生島足島神社に起請文が残されています。
仁科盛国(仁科神明宮)
仁科盛忠の長男で仁科神明宮の式年造替と若一王子神社の本殿を再建しています。
内藤清枚(満光寺)
内藤重頼の養子、高遠藩主、権兵衛街道を開削、大奥御年寄絵島を預かっています。
水野忠職(浅間温泉:天満宮)
松本藩の藩主で領内では大規模な検地をする一方で農民の保護を行っています。
水野忠直(小野神社)
松本藩の藩主で領民に重税を課した事から貞享騒動が発生しています。
皆川広照(飯山城)
飯山藩の藩主で飯笠山神社に社領を寄進し小菅神社に絵馬を奉納しています。
松平忠倶(忠恩寺)
飯山藩の藩主で領内の用水や社寺の整備に尽力し野沢温泉に別荘を設けています。
高遠藩主内藤家(満光寺)
高遠藩の藩主を歴任した氏族で高遠城を居城、満光寺を菩提寺としています。
牧野康明(布引観音)
小諸藩7代藩主で、火災で焼失した布引観音(釈尊寺)を再建した事で知られています。
石川康長(松本城)
石川数正の子供で松本藩の藩主、松本城の改修や城下町の町割りを引き継いでいます。
上田仙石家(芳泉寺)
藩祖となる仙石秀久は小諸城の城主で仙石忠政は上田城に移封となっています。
仙石家(本陽寺)
上田藩時代は藩主は芳泉寺、子女などの一族は本陽寺が菩提寺となっています。
小笠原家(墓所)
信濃国の守護職だった家柄で一時没落したものの貞慶が松本城主として復権しています。
上田松平家(願行寺)
松平利長が祖とされ十八松平に数えられました。松平信一の代で諸侯に列しています。
小島弥太郎・泉家(英岩寺)
小島弥太郎は上杉謙信の側近とも云われ、泉家の祖は鎌倉幕府の有力御家人でした。
飯山堀家・佐久間家(大聖寺)
堀直寄は御家騒動で飯山藩に減封。佐久間家は一時没落したものの後に復権しています。
真田信之(大鋒寺)
松代藩初代藩主で、松代城の改築や城下町の町割りなど領内整備に尽力しています。
知久家(安養寺)
諏訪大祝家出身の敦俊が祖で、武田家に敗れ没落するも旗本として復権しています。


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