上田仙石家

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)>上田藩仙石家:菩提寺(芳泉寺)
【 菩提者 】 芳泉寺上田市)の創建は文禄2年(1593)、小諸城の城主仙石秀久が領内(松井)にあった歓喜院を小諸城の城下に移し仙石家歴代の菩提寺に定め寺号を松井山歓喜院宝仙寺に改めたのが始まりとされます。ただし、佐久市にある西念寺も秀久の菩提寺として庇護されています。慶長19年(1614)、秀久は江戸から小諸へ帰る途中、武州国鴻巣(埼玉県鴻巣市)で重病となり、同地にあった勝善寺で死去、享年63歳、戒名「円覚院殿宝誉道樹大禅定門」菩提は宝仙寺に葬られたと思われます。その後、勝善寺に分骨され墓碑(宝篋印塔)が建立されている事から同じく西念寺にも分骨(?)され墓碑(宝篋印塔)が建立されています。跡を継いだ仙石忠政が元和8年(1622)に上田藩(藩庁:上田城)に移封になると元和9年(1623)に現在地にあった常福寺を建物、敷地、仏像などを事実上接収し父親である秀久の戒名に因み松井山円覚院芳泉寺に改め、旧宝仙寺境内から菩提が改葬、常福寺には下之条の地が与えられています。常福寺は慶長5年(1600)、真田信之によって真田家の菩提寺と定められ、元和6年(1620)に正室である小松姫(大蓮院殿)が亡くなると当寺に葬られ霊屋が造営されています。何の因果が小松姫も武州国鴻巣で亡くなり(一説には武州国鴻巣で亡くなった訳では無く、単に生前篤く帰依していた勝善寺の円誉不残上人に弔ってもらう為、一回忌に次女である見樹院が分骨し墓碑を建立した説もあります。これは小松姫の3男で埴科藩真田信重が参勤交代の途中で武州国鴻巣で亡くなり勝善寺に葬られた事が混同しているとも。因みに長野市にある常福寺には信重の位牌が安置されているとも)、密葬した勝善寺に分骨と墓碑(宝篋印塔)が建立されており、秀久と小松姫は縁も縁も無いものの同じ様な経緯で、芳泉寺、勝善寺の両方の寺院の境内で墓碑が並びあっています。延宝2年(1674)に2代上田藩主仙石政俊が死去、享年58歳、戒名「松翁院殿謙誉道休大居士」、政俊の戒名に因み松翁山円覚院芳泉寺に山号が改称されています。芳泉寺の境内にはその他に秀久の側室慶宗院(甲斐の浪士竹村新兵衛の娘、慶安元年:1648年死去)と秀久の長男(孫?)久忠(慶長7年:1602年死去、戒名「歓誉喜念」)の墓碑が建立されています。

【 寺  号 】 芳泉寺
【 所在地 】 長野県上田市常盤城
【 創建年 】 文禄2年(1593)
【 開  山 】
【 開  基 】 仙石秀久
【 山  号 】 松翁山
【 宗  派 】 浄土宗
【 本  尊 】 阿弥陀如来
【 備  考 】 小松姫の墓−上田市指定史跡−指定日:昭和45年
仙石家霊廟(秀久・政俊)−上田市指定史跡−指定日:昭和56年
長野県大名菩提寺
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