大町宿(千国街道)概要: 大町宿(長野県大町市)は千国街道の正式な宿場町ではありませんが、間宿として機能していたとされます。周辺地域の集積所でもあり牛馬での運搬の中継ぎも大町で行われ、多くの商家が軒を連ね中には豪商に成る店も現れました。松本藩(長野県松本市:本城−松本城)でも大町を重要視し藩の出先機関である御仮屋や藩蔵が設けられ周辺地域の行政の中心でもありました。現在残されている平林家住宅は往時は塩問屋として栄えた豪商で、日本海側である糸魚川(新潟県糸魚川市)から塩を中心とする海産物を取り扱い大きく財を富ました。近代化により多くの町家は姿を消しましたが、所々に雰囲気の残る建物が点在し当時の繁栄を現在に伝えています。又、中世は長く安曇野以北を支配した仁科氏の本拠があった事から、元々城下町として周辺の中心でもあり、周辺には仁科氏縁の仁科神明宮や若一王子神社などが点在し中世以降豊かな文化が花開いていた事が窺えます。特に仁科神明宮は創建年は不詳ですが、平安時代に成立した仁科庄の信仰の中心であり、鎌倉時代に入植したと思われる仁科氏から篤く庇護されました。仁科氏は長い間に渡って20年毎に式年造替が続けられ現在も古式を伝える社殿が国宝に指定されています。若一王子神社も見所が多く、神仏分離令後も仏教色が強い三重塔(長野県県宝)や観音堂(長野県県宝)が残され、神仏習合時代の名残が随所に残されています。
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