上田市(歴史)概要: 上田市は信濃国府があったと推定される地域で市内には信濃国分寺跡や国分尼寺跡の遺跡や信濃国総社と推定されている科野大宮があります。天慶2年(939)の平将門の乱で上田市一帯は将門と従弟である平貞盛との戦場となり大きな被害を受け国分寺は焼失したと伝えられています。鎌倉時代後期には塩田に本拠をもった幕府執権北条氏の一族が塩田北条氏を名乗り、前山寺や塩野神社、安楽寺、北向観音などの社寺仏閣を庇護し独自の文化を開花させ「信州の鎌倉」とも呼ばれています。鎌倉幕府が滅びると塩野北条氏も命運を共にし上田市周辺は海野氏が支配しますが天文9年(1540)の海野平の戦いにより村上、諏訪、武田の連合軍により敗退し一時村上氏が領しています。その後、武田氏領となり臣従していた真田氏が上田市周辺を安堵され武田氏が滅んだ後は独立し天正11年(1583)には上田城を築きます。
当時真田氏は徳川家に帰順していましたが沼田領を廻り対立するようになり天正13年(1585)に第1次上田合戦が行われ真田家が勝利し、関ヶ原の戦いの際も真田昌幸、幸村父子が西軍に付き徳川秀忠軍の足止めに成功しています。江戸時代に入ると東軍に組した真田信之が領地を継承し元和2年(1616)に藩庁を上田に移し上田藩を立藩しています。元和8年(1622)に信之が松代藩に移封となり仙石氏が6万石で入封すると上田城を近代城郭へと大改修し現在見られる上田市の原形となる町割りなどを行い忠政、政俊、政明と3代続き、宝永3年(1706)からは松平氏が藩主となり明治維新まで7代世襲しています。
|