来迎寺(下諏訪町)概要: 引接山来迎寺は長野県諏訪郡下諏訪町字湯田本町に境内を構えている浄土宗の寺院です。来迎寺の創建は諏訪大社下社の祭祀を司る大祝金刺家の一族とされる諏訪右衛門尉が開基として開かれ、天文10年(1541)、栄海上人が中興開山しています。寺宝である銕焼地蔵尊には次ぎのような伝説が残っています。来迎寺に程近い温泉宿に奉公人として働いていた「かね」と呼ばれる美しい少女がいました。「かね」は信心深く、日頃から守り本尊として信仰していた地蔵尊に僅かな食事から御供え物を施していました。ある時、いじめが酷く顔に大きな傷を受けた「かね」は泣きながら地蔵尊に報告すると、地蔵尊の顔に傷が付き「かね」の傷がみるみる完治しました。この話しは瞬く間に広がり誰も「かね」をいじめなくなったと同時に、身代わり地蔵の「かなやき様」として信仰されるようになりました。都にまで噂が広がり大江雅致が耳にすると「かね」は養女に迎え入れ、後に和泉式部と呼ばれるようになったそうです。和泉式部が没した後、たまたま旧宅を訪れた最明寺入道(5代執権北条時頼)の霊夢に地蔵尊の化身が立ち、式部縁の来迎寺に安置してほしいとの御告げがありました。そこで最明寺入道が京都から下諏訪の来迎寺まで自ら担いで運んだと伝えられています。
銕焼地蔵尊は総高67.5センチ、像高29.5、普段は厨子に安置されている秘仏で4月24日のみ御開帳が行われ、昭和50年(1975)に下諏訪町指定有形文化財に指定されています。銕焼地尊堂は享保16年(1731)に建てられた建物で宝形造、銅板葺き、三間四面、内陣には須弥壇が設けられ天井には梵字が書かれ外陣の格天井には様々な花鳥獣の図が描かれています。年代が明確なものとしては下諏訪町最古の古建築物で意匠にも優れている事から昭和54年(1979)に下諏訪町指定有形文化財に指定されています。
又、来迎寺境内から湧き出た温泉は銕焼地蔵尊の御利益があるとされ最明寺入道や高島藩(藩庁:高島城)の藩主諏訪氏も利用したと伝えられています。境内には和泉式部歌碑「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな 」、小林一茶句碑「 朝露に 浄土参りの けいこ哉 」が建立されています。山号:引接山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-銕焼地蔵尊奉賛会
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