諏訪大社下社秋宮

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概要・歴史・観光・見所
諏訪大社下社秋宮概要: 下社秋宮の祭神は建御名方命、八坂刀売命、配神は諏訪大社下社秋宮御兄八重事代主神、当時の主祭神は境内背後にある和田峠守護神と考えられている八坂刀売命とされ建御名方命の后神です。八坂刀売命は神話等に記されていない事から諏訪地方独自の地元神とも考えられています。古くから格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社に、近代には官幣大社に列し信濃国一之宮として歴代領主や為政者から崇敬庇護されました。諏訪大社2社4宮の1つですが上社とは異なる点も多く下社では半年ごとに遷座祭が行われ2〜7月には春宮、8〜1月までは秋宮に祭神が交互に鎮座します。又、下社秋宮には本殿が無く御神木であるイチイの木を祭っていているとされ、その前には東西宝殿、さらに前には幣拝殿と左右片拝殿と神楽殿が建立され、さらに境内を囲むように4本の御柱が建てられています。上社も本殿はありませんが背後の山が御神体とされ、元々は祭祀を司る大祝家の童子を依り代に祭神である建御名方命を取り込み自ら御神体になっていたそうです(後に弘法大師が御神体として鉄塔が建立され、神仏分離令後は背後の山が御神体になったようです。※鉄塔は諏訪家(高島藩の藩主)の菩提寺である温泉寺に移されています)。

諏訪大社下社大祝である金刺氏は神武天皇の御子神八井耳神の後裔とされ上社大祝より神格化されなかったとされますが武芸的には秀でた家系で今は廃れましたが以前は霧が峰の八島に、広大な屋外円形桟敷を設けて武芸大会(神事の一種)が行われていたと伝えられています。戦国時代に金刺氏が諏訪氏(上社大祝家の惣領家)に滅ぼされると大きく衰退しますが江戸時代に入ると再興され500石の神領が安堵されました(上社は1000石)。江戸時代に入り中山道が開削され下諏訪宿が開かれると多くの信者、旅人が参拝に訪れ社運も隆盛したとされ、特に宿場のいたるところに温泉が湧き出たことで湯治場としても多くの人達が利用しました。秋宮の社殿は諏訪出身の宮大工立川和四郎初代富棟が手掛け、安永10年(1781)に竣工し、意匠にも優れ大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

諏訪大社下社秋宮の文化財
・ 幣拝殿−安永6年−二重楼門,切妻,銅板葺,軒唐破風,桁行1間−国重文
・ 左片拝殿−安永10年−切妻、銅板葺、桁行5間、梁間2間−国重文
・ 右片拝殿−安永10年−切妻、銅板葺、桁行5間、梁間2間−国重文
・ 神楽殿−天保6年−切妻、撞木造、銅板葺、桁行5間、梁間3間−国重文
・ 売神祝ノ印−大同年間−高さ3.6cm、縦5.0cm、横4.8cm−国重文
・ 青塚古墳−諏訪地方では唯一の前方後円墳−長野県指定史跡
・ 御柱祭−7年毎、寅と申年の式年際、日本三大奇祭−県指定無形民俗文化財
・ 秋宮社叢−町指定天然記念物
・ 専女の欅−推定樹齢千年−樹高31m、幹周7.1m−町指定天然記念物
・ 経塚出土品−舟形水差・和鏡・花形鋺・黄瀬戸香炉・灰釉と黄金−町指定
・ 宝物−和鏡・舟形錠・鎌−町指定
・ 文書−江戸幕府朱印状・小笠原家寄進状:安堵状など5通−町指定

諏訪大社下社秋宮:写真

諏訪大社下社秋宮
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