諏訪大社上社前宮(茅野市)概要: 諏訪大社の創建は不詳ですが前宮境内附近(神原)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当初、大祝(最高統轄者)の住居神殿が設けられ諏訪大社上社の大祝職位式や大御立座神事など重要神事が全て前宮境内で行われ、文明15年(1483)に大祝家と諏訪惣領家の内訌による争いで一時荒廃しますが後に再興され大祝の居館が移されるまで中心的な場所として多くの社殿が軒を連ねていました。室町時代中期に大祝の居館が移すと多くの建物も消滅しましたが本殿や内御玉殿、十間廊などの社殿が残り現在も粛々と神事が行われています。
前宮本殿は諏訪大神が最初に居を構えた地と言われ左後方の小丘は諏訪大神の御神陵(聖地とされ古来より足を踏み込むと神罰が下ると言われています。)だと伝えられています。内御玉殿は案内板によると「 諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である。「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち真澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。現在の社殿は昭和七年改築されとものであるが以前の社殿は天正十三年に造営された上社関係では最古の建造物であった。 安国寺史友会 」とあります。
十間廊は案内板によると「 古くは神原廊と呼ばれ中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場ですべての貢物はこの廊下で大祝の実見に供された。毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたがこれらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿がいることから諏訪の七不思議にかぞえられた。上段に大祝の座、次に家老、奉行五官の座があり、下座に御頭郷役人の座なども定められ左手の「高神子屋」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった。 安国寺史友会 」とあります。その他のも「御室入り」神事が行われていた御室社や御手祓道、小町屋の中小路、御神水である"水眼(すいが)"などの史跡が点在し"諏訪大社上社前宮神殿跡"として昭和39年(1964)に長野県指定史跡に指定されています。又、特殊神事として寅年と申年に、樅を山中から切り出し、境内の四方に神木を建てる諏訪大社式年造営御柱大祭があります。信濃國十四社巡り。
諏訪大社上社前宮の文化財
・ 上社前宮神殿跡−長野県指定史跡
・ 御柱祭−7年毎,寅と申年の式年際,日本三大奇祭−県指定無形民俗文化財
・ 犬射原社−流鏑馬神事や犬追物の規式が行われた−茅野市指定史跡
・ 大年社−上十三所の一つ−茅野市指定史跡
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-安国寺史友会
・ 現地案内板
|
|