諏訪湖: 慈雲寺

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概要・歴史・観光・見所
慈雲寺(下諏訪町)概要: 白華山慈雲寺は長野県諏訪郡下諏訪町東町に境内を構えています。慈雲寺の創建は正安2年(1300)一山一寧(宋の僧、建長寺や円覚寺の住職を歴任)が開山したのが始まりと伝えられています。信州にある禅宗寺院の触頭(諸願いの取次ぎなどを行う中心的寺院)という格式から寺運も隆盛し鎌倉十刹に並ぶ寺格と言われました。戦国時代は武田信玄に庇護され慈雲寺中興の祖と言われる天桂和尚から戦勝の教えを請うたとの伝承が残っており、霊力のある矢除石に願を懸けたとも伝わっています。山号:白華山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:十一面観音。

慈雲寺の寺宝である梵鐘は南北朝時代の応安元年(1368)に鋳造されたもので総高114cm、口径66.4cm、慈雲寺昭和45年(1970)に長野県県宝に指定されています。現在の慈雲寺本堂は江戸時代後期の文化3年(1806)に焼失後の文化5年(1808)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行10間半、梁間7間半、棟梁:上原市蔵正房、内陣欄間には武田菱の彫刻、江戸時代後期の大型本堂建築の遺構として貴重な事から平成14年(2002)に下諏訪町指定文化財に指定されています。本堂に安置されてる阿弥陀如来立像は文化4年(1807)に木喰明満仙人が諏訪地方で最後に彫刻した木喰仏で像高112cm、昭和50年(1975)に下諏訪町指定文化財に指定されています。慈雲寺山門は江戸時代中期の安永6年(1777)に建立されたもので入母屋、銅板葺(元檜皮葺)、三間一戸、八脚鐘楼門、桁行3間(5.64m)、梁行2間(3.76m)、棟梁は村田長左衛門矩重、江戸時代中期の楼門建築として貴重な事から昭和46年(1971)に下諏訪町指定文化財に指定されています。参道にある日根野高吉(豊臣秀吉家臣・高島城の城主)の供養塔は江戸時代初期の慶安2年(1649)に日根野嘉明が父親の50回忌の追善供養の為に建立したもので、諏訪地方を代表する五輪塔として貴重な事から昭和45年(1970)に下諏訪町指定有形文化財に指定されています。慈雲寺境内にある「天桂の松」は中興開山した天桂和尚が手植えしたと伝えられる古木で、推定樹齢400年以上、樹高4.5m、根回り1.5m、昭和47年(1972)に下諏訪町指定天然記念物に指定されています。

【 慈雲寺:菩提者(日根野高吉) 】−日根野氏は和泉国出身とされ、鎌倉時代に長滝庄の庄官である中原氏の一族が日根野村に配された際、地名に因み「日根野」姓を名乗ったとされます。戦国時代にその一族の一人と思われる、日根野九郎左衛門尉が美濃に移り住、美濃国を制した斎藤道三に仕えるようになり、九郎左衛門尉の子供とされる日根野弘就は美濃六人衆の一人に数えられる出世を遂げています。斎藤家が没落すると今川家に仕えますが、今川家もすぐに没落した為、織田信長に仕えています。天正10年(1582)に本能寺の変で信長が倒れると、織田信孝に仕えた後に羽柴(豊臣)秀吉に仕え、その後一時浪人になったものの、天正18年(1590)の小田原合戦で戦功を挙げ、復権を果たしています。一方、嫡男である日根野高吉も秀吉に仕え、大坂城や伏見城の普請役としても功績があ、り小田原合戦では山中城(静岡県三島市山中新田)を攻略戦で大功を立て諏訪領2万8千石が与えられ、朝鮮出兵時には備前名護屋城の普請も手掛けています。高吉は文禄元年(1592)高島城の築城と領内整備を行う一方で、高い課税をかけ、長く当地を支配した諏訪氏の居城である金子城を破却して高島城の用材として利用し、領民の墓碑も石垣等にした事で諏訪領民からは人気が無かったとされます。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは豊臣家を見限り、徳川方に転じましたが、高島城の城内で死没し、跡を継いだ日根野吉明はまだ幼少で高吉の死没という混乱の中、目立った行動が出来ず、結果的に壬生藩(栃木県壬生町)1万9千石に減封となっています。高吉没後50回忌供養の際、菩提寺である慈雲寺(下諏訪町)の境内に吉明により供養塔が奉納されています。

日根野高吉の菩提寺である慈雲寺は、中山道甲州街道の宿場町である下諏訪宿(長野県下諏訪町)に境内を構えています。下諏訪宿は諏訪地方でも早くから開けていた場所で、諏訪地方では唯一の前方後円墳である下諏訪青塚古墳が築造され、そのすぐそばには信濃一宮である諏訪大社下社秋宮が鎮座している事から、諏訪地方の支配階級の本拠だった事が窺えます。長く、諏訪大社下社(秋宮・春宮)の門前町として栄えていましたが、江戸時代に入り中山道と甲州街道が開削されると、その宿場町に指定されています。中山道、甲州街道共に幕府が定めた五街道の一つで、その街道同志が交わる交通の要衝として下諏訪宿は大いに賑わいました。特に本陣職を担った岩波家には参勤交代で下諏訪宿を利用した諸大名の宿所となり、庭園(下諏訪町指定史跡)は中山道随一と評されています。

慈雲寺:写真

慈雲寺
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