下諏訪宿本陣(岩波家)

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概要・歴史・観光・見所
下諏訪宿本陣(岩波家)概要: 岩波家は信濃守護職を務めた小笠原家を祖とする名家で当初は二木を称していましたが小県郡岩波の地を領するお地名から岩波に改称しました。その後も本家筋である小笠原家に従い元和3年(1617)に小笠原忠真が明石藩(兵庫県明石市)に移封になると小笠原家から離れ諏訪藩の文官となり元禄元年(1688)に下諏訪宿の本陣及び問屋役を命じられました。岩波家の当主は代々太左ェ門を襲名し地主として広大な山林や田畑を所有していたとされ寛政12年(1800年)の記録では敷地面積1865坪、家屋277坪の規模だったとされます。

又、下諏訪宿は中山道甲州街道の分岐点で隣の和田宿(長野県長和町和田)との間には和田峠という難所を控えて、湯治場や諏訪大社下社秋宮の門前町でもあり宿場の有力者として大きな影響力を持ちました。本陣は大名や公家などが宿泊や休息で利用する公的な施設で規模と同時に格式の高さが必要とされ、現在残され中山道随一の名園とも言われる庭園もわざわざ京都の職人を呼び寄せて作庭したと推定されています。文久元年(1861)の皇女和宮が江戸将軍家の降嫁の際には宿泊所、明治13年(1880)の明治天皇巡幸の際には御小休所として利用されています。岩波家は中山道に残る数少ない本陣及び問屋の遺構として貴重な事から昭和47年(1972)に下諏訪町指定史跡に指定されています。現在も岩波家の一族の方が管理し座敷の一部や庭園、資料などが一般公開されています。

下諏訪宿本陣:写真

本陣
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