手長神社

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概要・歴史・観光・見所
手長神社(諏訪湖)概要: 手長神社は長野県諏訪市大字上諏訪字茶臼山に鎮座している神社です。手長神社の創建は不詳ですが周辺には旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である「手長丘遺跡」があることから古代から地元神として信仰されていたと思われます。祭神である手摩乳命(手長彦神)は建御名方神(諏訪大明神)の曾祖母(奇稲田姫の母神)にあたり地元でも諏訪大社が勧請される以前から信仰していたとされています。当時は桑原郷の総鎮守でしたが、桑原郷が上桑原と下桑原に分かれた為、上桑原の産土神として足長神社が、下桑原の産土神として手長神社が祭られるようになったとされます。諏訪大社が勧請されると39摂末社の一つに数えられ、戦国時代に高島城が築かれると境内が城の北東にあたる為、城の鬼門除けとして歴代城主に崇敬され広大な社領が安堵されました。

又、高島藩家中の総鎮守でもあった為、例祭で奉納される八朔相撲には各地から有力力士が集まり、境内には高島藩士の桟敷が設けられ大変賑わったそうで、手長神社の八朔相撲は諏訪大社上社の十五夜相撲、田沢稲荷の二百十日相撲と共に諏訪三辻に数えられました。手長神社は古くから神仏習合し「手長宮」や「手長大明神」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治5年(1872)に村社、明治32年(1899)に郷社、大正13年(1924)に県社に列しています。祭神:手摩乳命。

現在の手長神社拝殿は天明8年(1788)に建てられたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、外壁は真壁造り板張り、正面には軒唐破風、細部には唐獅子、上下龍などの彫刻、桁行1間、梁間1間、左右に片拝殿(桁行2間、梁間1間)、棟梁は立川和四郎富棟が手掛けています。境内社の弥栄神社(旧手長神社本殿)は宝永6年(1709)に建てられたもので一間社流造、銅板葺き、棟梁は伊藤庄左衛門。手長神社拝殿は昭和59年(1984)、弥栄神社社殿は貴重な事から平成6年(1994)に諏訪市指定有形文化財に指定されています。手長神社の境内は神域だった為、多種多様の植生が残され(30種450本余)、古木大木も多い事から名称「手長の森」として平成元年(1989)に諏訪市指定天然記念物に指定されています。信濃國十四社巡り

手長神社:社殿・境内・写真

手長神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
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自然石を利用した手長神社手水鉢 手長神社参道石段左右の立派な木製燈篭 手長神社聖域を示す木製燈篭と石垣、石造狛犬 手長神社例祭で神楽が奉納される神楽殿
手長神社参道石段越に見える拝殿 手長神社社殿を左斜め前方から撮影した画像 手長神社拝殿、片拝殿を右斜め前方から撮影した写真 手長神社拝殿向拝に施された精緻な彫刻


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