万治の石仏(下諏訪町)概要: 万治の石仏は長野県下諏訪町東山田字石仏に位置しています。この石仏には不思議な伝承が伝えられています。その伝承によると万治3年(1660)に、明誉浄光と心誉廣春の2人の僧侶が願主となり、大旦那の高島藩(藩庁:高島城)の3代藩主諏訪忠晴が諏訪大社下社春宮に石造の大鳥居を奉納しようとしたところ、大鳥居の依頼を受けた石大工が石にノミを入れるとそこから血が湧き出たそうです。
その夜、石大工の夢枕に阿弥陀如来の化身が立ち、鳥居には上原山の石材を使うようにと御告げがありました。石大工は早速上原山から石を切り出し大鳥居を完成させると、血の湧き出た石を阿弥陀如来に見立てて彫刻しこの地に祭ると、何時しか彫刻された年号から「万治の石仏」と呼ばれるようになったと伝えられています。
万治の石仏の大きさは高さ2.6m、巾3.8m、奥行き3.7m、胴回り11.85m、顔の高さ0.65m、顔の周囲1.38m。長く地元住民の素朴な信仰の場でしたが近年、岡本太郎や新田次郎などが称賛した事から著名となり諏訪大社下社春宮の参拝した後に万治の石仏まで足を延ばす人が増えました。万治の石仏は貴重な事から昭和57年(1982)に下諏訪町指定文化財に指定されています。
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