諏訪湖: 法華寺

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概要・歴史・観光・見所
法華寺(諏訪市)概要: 鷲峰山法華寺は長野県諏訪市中洲に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。法華寺の創建は不詳ですが元は天台宗の寺院として開かれたのが始まりとされ、鎌倉時代に当時の領主だった蓮仏盛重が建長寺の蘭渓道隆を招いて中興開山し臨済宗に改められました。又、法華寺は諏訪大社上社本宮の神宮寺の宮寺の1つでもあり境内には神仏分離令と廃仏毀釈により廃された五重塔や普賢堂、釈迦堂、如法院の跡などが点在しています。天正10年(1582)、高遠城を落とした織田軍勢はそのまま北上し諏訪大社上社本宮を焼き討ち、類焼を免れた法華寺は本陣となり武田家滅亡後の論功行賞が行われました。その際、織田信長が明智光秀を叱責し、面目を失った光秀が本能寺の変へと導いたとも伝えられています。

法華寺の境内裏手には吉良上野介義央の養子である吉良義周の墓(墓石には「宝燈院殿岱嶽徹宗大居士神儀 宝永三丙戌天正月廾日」と刻まれています)があり、貴重な事から昭和54年(1979)に諏訪市指定史跡に指定されています。「法華寺応安の板碑」は応安2年(1369)に建立されたもので高さ56.5cm、最大幅19cm、緑泥片岩製、建立年や千手観音の種字キリクが刻まれた貴重なものとして昭和49年(1974)に諏訪市指定文化財に指定されています。法華寺山門は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門建築、外壁は弁柄色、上層部は高欄が廻り中央には花頭窓付、「鷲峰山」の山号額が掲げられています。山号:鷲峰山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

【 法華寺:菩提者(吉良義周) 】−吉良義周は米沢藩(山形県米沢市:本城−米沢城)の4代藩主上杉綱憲の2男として貞享3年(1686)に生まれました。綱憲は吉良上野介義央の長男で上杉家に婿養子として入った関係で、吉良家を本来継ぐべく2男吉良三郎が貞享2年(1685)に死去した事から、元禄2年(1690)に上杉家と幕府との教義の上で義周(幼名:春千代)が吉良家の養子となりました。元禄14年(1701)、3月14日、江戸城松之大廊下において、養父である義央が赤穂藩(兵庫県赤穂市:本城赤穂城)3代藩主浅野長矩に殿中刃傷を受けるという前代未聞の事件が発生し、浅野長矩は即日切腹と赤穂藩取り潰しが決定し、義央は事実上隠居に追い込まれ、義周が17歳で吉良家を継ぐ事になっています。元禄15年(1703)12月14日、所謂、赤穂浪士討ち入り事件の際、義周は吉良邸に滞在し赤穂浪士と交戦する中、数箇所の傷を負わされ気絶、気がついた時には既に養父義央は討ち取られ赤穂浪士の姿は無かったとされます。元禄16年(1703)2月4日、幕府の裁定により、吉良家は改易、義周は高島藩(長野県諏訪市:本城−高島城)の藩主諏訪忠虎に身柄預かりが下され高島城の南丸に幽閉されました。一般の罪人に比べるとかなり優遇されたそうですが、次第に病気がちとなり、宝永3年(1706)1月19日死去、遺骸を引き取る者がいなかった為に菩提は高島城に近い法華寺(諏訪市)に土葬されました。享年21歳。戒名「室燈院殿岱岳徹宗大居士」。

法華寺:写真

法華寺
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