諏訪市概要: 諏訪市の歴史は古く手長丘遺跡には旧石器時代から古墳時代にかけての生活の跡が見られ、地元神である手長神や足長神が信仰されていたとされます。その後勧請された諏訪大社の影響が大きかったのか、独自の文化圏をもち古代律令制の中でも短期間で吸収されましたが養老5年(721)に信濃国から諏方国として独立しています。中世になり諏訪大社の影響力が増すと対岸にある諏訪大社下社との権力争いが激化、戦国時代には上社側の諏訪氏が統一を果たしましたが武田家の諏訪侵攻により武田領となります。武田家の滅亡の際は諏訪大社上社本宮が織田家の軍勢に焼き討ちにあい、本陣となった法華寺では論功行賞が行われ織田信長が明智光秀を叱責し、面目を失った光秀が本能寺の変へと導いたとも伝えられています。豊臣政権下では秀吉家臣である日根野高吉が領し高島城を築城し、江戸時代には徳川方に組した諏訪氏が復権して高島藩を2万7千石(後3万2千石)で立藩、高島城の改修や城下町の整備など領土経営を行い現在の諏訪市の基礎が作り上げられました。又、城下に引き込まれた甲州街道は高遠藩、高島藩、飯田藩が参勤交代で利用し、城下は上諏訪宿が設けられています。
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