芳泉寺(上田市)概要: 松翁山圓覚院芳泉寺は長野県上田市常磐城に境内を構えている浄土宗の寺院です。芳泉寺の創建は不詳ですが古くから千曲川右岸に境内を構え、大福寺、常福寺、真福寺と軒を連ねていた事から総称として三福寺などと呼ばれていました。その後、真田家の祈願所として庇護され、慶長5年(1600)に真田信之が現在地に移し、全称庵主含霊を招いて菩提寺としました。
元和6年(1620)に信之の正室である小松姫(本多忠勝の娘、徳川家康の養女、戒名:大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)は病気がちになり、江戸から草津温泉(群馬県草津町)に湯治に行く途中、武蔵国鴻巣の勝願寺(埼玉県鴻巣市)で倒れそのまま死去、勝願寺で密葬され一周忌をもって菩提寺となった常福寺、密葬された勝願寺、小松姫が日頃信仰していた正覚寺(群馬県沼田市)にそれぞれ分骨され墓碑(宝篋印塔)が建立されました。さらに常福寺には御霊屋が設けられ篤く弔われましたが元和8年(1622)信之が松代藩(藩庁:松代城)に移封されると御霊屋は松代城の城下の大英寺(長野県長野市松代町)に移されました。
代わって小諸藩(藩庁:小諸城)から上田藩(藩庁:上田城)6万石の藩主となった仙石忠政は小諸にあった菩提寺の宝仙寺をここに移し父親である仙石秀久の墓碑を改葬、翌年、秀久の戒名「円覚院殿宝誉道樹大禅定門」に因み円覚院芳泉寺と改称しています。山号:松翁山。院号:円覚院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
芳泉寺境内には大蓮院殿(小松殿)墓や仙石政俊(仙石家2代上田藩主、戒名:松翁院殿謙誉道休大居士)の霊廟(宝形造、桟瓦葺、方一間、内部に総高188cmの五輪塔)、仙石秀久の霊廟(宝形造、桟瓦葺、方一間、内部に総高202cmの舟型石塔)があり、小松姫の墓は昭和45年(1970)、仙石秀久の霊廟は昭和56年(1981)に上田市指定史跡に指定されています。又、秀久の側室である慶宗院(甲斐の浪士竹村新兵衛の娘、戒名:慶宗院殿光誉心安大禅定尼)の墓(舟型石塔)と秀久の長男である久忠(失明した為に後継から外されましたが検校を務めました。戒名:歓誉喜念)の墓(五輪塔)も傍らに建立されています。木造阿弥陀如来立像は室町時代に制作され、真田信之の家臣が施主となり修理したもので、桧材、寄木造、総高187.0cm、像高97.0cm、保存状態がよく意匠的に優れている事から昭和49年(1974)に上田市指定文化財に指定されています。
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