長野市松代町: 大鋒寺

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概要・歴史・観光・見所
大鋒寺(長野市松代町)概要: 松代藩初代藩主真田信之は明暦2年(1656)に真田家の家督を2男真田信政に譲りこの地を隠居所としました。2代信政は2年後の万治元年(1658)に亡くなると嫡男幸道が幼少だった事から信政の甥にあたる信利が意義を申し立て、幕府も巻き込んだ御家騒動となりました。結果、幸道が3代藩主に就任し信之が後見人となりましたが、信之は高齢だった事から同年の10月17日に死去、享年93歳、戒名「大鋒寺殿徹巌一当大居士」、辞世の句「何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思いざりけり」、遺言により幸道(幸道は当時幼少だった事から形式的で、実際は後見人である内藤忠興が仕切ったと思われます)が隠居所に長国寺の観国和尚を招いて真田林大鋒寺を開き書院跡に霊屋を建て、信之が日頃篤く帰依していた阿弥陀三尊像を本尊として安置しました。

大鋒寺御霊屋(真田信之霊廟)は宝形造、鉄板葺(元茅葺)、桁行5間、梁間3間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、正面1間向拝付、内部は前面2間分が外陣で畳敷き、欄間には三十六歌仙画(現在は欠落し24枚)が掲げられ、内陣には本尊である阿弥陀三尊と厨子(信之像安置)、信政画像、8代幸貫像(当初は松代城の花の丸御殿に安置していましたが明治4年:1871年に松代城が廃城となり大鋒寺に移された。)が安置されています。又、境内には荼毘に付した灰塚の地に信之の宝篋印塔(高さ3.3m、「大鋒寺殿徹巌一当大居士」、「骨頭片々即法身」、「万治元戌年」、「十月十七日烏」と刻み込まれている)が築かれ、傍らには殉死した鈴木右近忠重(名胡桃城代・鈴木主水の息子、信之の死の翌々日に殉死)の墓が建立されています。「大鋒寺真田信之霊屋」は平成7年(1995)に長野市指定重要文化財に、「真田信之の墓」は昭和42年(1967)に長野市指定史跡にそれぞれ指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:阿弥陀三尊。

大鋒寺:写真

大鋒寺
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