長野市: 西楽寺(真田信重霊廟)

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概要・歴史・観光・見所
西楽寺(長野市松代町)概要: 関谷山西楽寺は長野県長野市松代町西条に境内を構えている浄土宗の寺院です。西楽寺の創建は天正2年(1574)に西条氏が開基となり名誉善宝を招き開山したのが始まりとされます。真田信之の三男で埴科藩3万石の第2代藩主であった真田信重が帰依し、慶安元年(1648)に信重が武蔵国鴻巣(現在の埼玉県鴻巣市)死去すると、その地の有力寺院である勝願寺に葬られ正保年間(1645〜1648年)に焼失していた西楽寺を再建、霊屋が建立され信重夫妻の位牌が安置されました。信重には跡継ぎがいなかった為、埴科藩は廃藩となり石高(領地)は本藩である松代藩(藩庁:松代城)に返上されています)。

現在の西楽寺霊屋(真田信重霊廟)は建立当時のもので木造平屋建て、一重宝形造、こけら葺 、桁行3間、梁間3間、1間向拝付き、内部は前面1間が外陣で格子戸で囲われた内陣の天井は格天井、仏壇には本尊の阿弥陀如来像と信重夫妻の位牌が安置されて、外壁、内壁共に漆塗りの極彩色で彩られた豪華な霊廟建築となっています。西楽寺霊屋(真田信重霊廟)は江戸時代初期に建てられた数少ない霊廟建築の遺構で全国的にみても珍しい工法が採用されるなど大変貴重な事から昭和46年(1671)に前机(1脚)、釣燈籠(2個)共に国指定重要文化財に指定されています。又、霊屋の本尊である木造阿弥陀如来立像は檜材、寄木造り、像高96.7p、漆箔、彫眼、藤原時代後期と推定される木像で、貴重な事から昭和42年(1967)に長野市指定重要文化財に指定されています。山号:関谷山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

【 西楽寺:菩提者(真田信重) 】−真田信重は慶長4年(1599)、真田家宗家である真田昌幸の嫡男真田信之の3男として生まれました。生母は一般的に信之の正室である小松姫とされますが、小松姫は女児しか産んでいないとの説もあり、それに従えば側室の誰かという事になります。元和8年(1622)、信之が松代藩(藩庁:松代城)13万石で移封になると領内7千石が分与され旗本となり、寛永16年(1539)に次兄真田信政が沼田領主になった際、信政が領していた埴科領1万が与えられ合計1万7千石で埴科藩2代藩主に就任しています。慶安元年(1648)武蔵国鴻巣にて死去、享年48歳、菩提は武蔵鴻巣(埼玉県鴻巣市)の勝願寺に葬られ、翌年の慶安2年(1649)に死去した正室である鳥居忠政の6女と共に墓碑が建立されました(勝願寺には小松姫の墓碑もあり、その様な関係から菩提寺になったと思われます)。松代では信重が帰依していた西楽寺(長野市松代町)に霊廟が設けられ2人の位牌が安置されました。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長野市教育委員会

西楽寺:写真

西楽寺
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