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清水寺(長野市松代町)概要: 龍燈山蓮華院清水寺は長野県長野市松代町西条に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。清水寺は平安時代初期の延暦22年(803)に坂上田村麻呂が東夷東征の際、戦勝祈願の為に開基となり開創したと伝えられています。
その後、平安時代中期に真言宗の名僧として知られた寛空上人が正式な寺院として開山したとされます。
寛空上人の生誕地は京都左京又は河内とも云われ、幼少時に宇多法皇の侍童を務めると、19歳の時に白雲神日に師事し出家しています。
延喜18年(918)に宇多法皇により大覚寺で伝法灌頂を受け、天慶8年(945)に権律師に就任し、東寺長者仁和寺別当等を歴任し康保元年(964)には僧正に昇格しています。
後年は蓮台寺の整備と布教に尽力、村上天皇の勅願で香隆寺となり、合計8回に及ぶ孔雀経法を行った事で霊験ある名僧と讃えられています。
清水寺の寺運は隆盛し境内には、五重塔・金堂・書院・回廊等、七堂伽藍が建ち並び広く信仰を広めます。
一時衰微しましたが、戦国時代に入り武田信玄の信濃侵攻により当地が武田領になると、信玄から帰依され、越後上杉家との決戦である川中島の戦いの際、手厚い供料により再び境内が整備され再興を果たしています。
江戸時代に入ると徳川家の祈祷寺として庇護され、徳川家の家紋と同じ三葉葵を寺紋として掲げる事が許されています。
一方、領主である松代藩(藩庁:松代城)の藩主真田家からも庇護され再び寺運が隆盛します。
清水寺は格式が高く真田家でさえ菩提寺である長国寺と同様に境内に入る際は下馬したと伝えられています。
当初は十二原に境内を構えていましたが、正徳年間(1711〜1715年)に発生した火災により多くの堂宇や寺宝、文献などを焼失した為、享保年間(1716〜1735年)に現在地に移ってきました。
現在の清水寺は北信濃厄除大師としても信仰され多くの参拝者を集めています。山号:龍燈山。院号:蓮華院。宗派:真言宗豊山派。本尊:千手観音立像。
清水寺の文化財
木造千手観音菩薩立像-平安初期-像高178.8p,一木造,漆箔-国指定重要文化財
木造観音菩薩立像-平安初期-像高159.1p,一木造,漆箔-国指定重要文化財
木造地蔵菩薩立像-平安初期-像高157p,一木造,肉身漆箔-国指定重要文化財
木造薬師如来立像-平安初期-像高104p,桂材,一木造,肉身漆箔-長野県指定県宝
木造毘沙門天立像-平安初期-像高177p,桧材,一木造-長野市指定重要文化財
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