上田市: 飯島商店

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概要・歴史・観光・見所

飯島商店(上田市)概要: 飯島商店の前身である「油屋」の創建年は判りませんが、文化13年(1816)に描かれた原町屋敷割図に油屋忠八の名が記されている事から、少なくとも江戸時代後期には創業していた事が知られています。

当初は北国街道沿いの柳町で穀物商を生業としていましたが、明治21年(1888)に上田に鉄道が開通し、駅前が開発された事に伴い、忠八から4代後裔の飯島才治の英断により現在地に移転してきました。

明治33年(1900)、取引先だった東京深川近郊の農家達が大洪水により大きな被害を受け大量の冠水米が発生した為、忠八から5代後裔の飯島新三郎が農家を助ける為に冠水米を買い取り、それを原料とした水飴の製造を行っています。

大正時代に入ると、爆発的な人気となった森永製菓のミルクキャラメルの主原料が水飴だった事から、それに深く関わった油屋も大きく発展しました。

これにより、屋号「油屋」を改め、会社組織を立ち上げると店名「飯島商店」を掲げ、初代社長に飯島新三郎が就任しています。

飯島新三郎は、旅館事業や10銭ストア、ガス事業、鉄道事業、鉱山事業など幅広く事業を展開し、上田市経済に大きな影響力がありました。

さらに、上田城の再建や学校の創立、児童療養所の設立などにも尽力し、公共事業にも大きく貢献しています。

飯島商店店舗棟は大正10年(1921)に建てられた建物で、木造3階建、寄棟、金属板葺、正面15m、奥行10m、建築面積146u。

外壁はモルタル仕上げで、石張り調に目地を切って単調になるのを防ぎ、格調高くするように工夫し、縦長の窓の採用やパラペット正面中央に櫛形の飾りを付けるなど、当時の建築様式の流行が見られます。

背後にある飯島商店事務所棟は明治27年(1894)に上田倉庫株式会社の蚕繭集積倉庫として建てられた建物で、木造3階建て、切妻、桟瓦葺、外壁は土壁白漆喰仕上げ、桁行14間、梁間5間、建築面積231u。

飯島商店作業所棟は明治27年(1894)に上田倉庫株式会社の蚕繭集積倉庫として建てられた建物で、木造3階建て、切妻、桟瓦葺、外壁は土壁白漆喰仕上げ、桁行20間、梁間5間、小屋組はキングポストトラス、建築面積330u。

明治時代の上田地域は日本一の蚕種出荷量を誇り、上田駅前には数十棟の繭倉が軒を連ねており、当建物もその一翼を担っていました。

明治43年(1910)に上田倉庫株式会社が諏訪倉庫株式会社に合併吸収され、その後も繭倉として利用されていましたが、戦後は生糸関連産業が急速に衰退しました。

昭和45年(1970)に当時の社長である飯島春三が次々と取り壊される繭倉を憂い、保存を目的に2棟を買い取り飯島商店の事務所と作業所として利用しました。

飯島商店店舗棟、事務所棟、作業所棟の3棟は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成19年(2007)に国登録有形文化財に登録されています。

【 参考:サイト 】
公式ホームページ

飯島商店:写真

飯島商店
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