浦野宿(上田市)概要: 浦野宿は松本城下と上田城下を結ぶ保福寺街道(松本街道)が開削され街道が整備されると浦野、入馬越、中馬越の集落が集められ宿場町として整備されました。松本藩の参勤交代ルートは保福寺街道で上田城の城下に入り北国街道(善光寺街道)と合流し追分宿から中山道に入り江戸に向いました。松本城の城下から浦野宿の行程が約1日かかった為、浦野を利用するのは参勤交代だけでなく多くの旅人や物資が集まり交通や経済的な中心として宿場は活気に満ちていたと言われています。明治時代以降に国道143号線が整備されると次第に宿場町としての機能が薄れましたが、現在でも街道沿いには古い建物が建ち並び当時の雰囲気を残しています。宿場中心部には高札場が残されていて、案内板によると「 高札場は藩からのおふれや禁令及び隣の宿場までの人馬賃銭札などを掲げた所で旧幕時代からの明治の初めまで村々の庄屋前や本陣問屋前の道路に面した所におかれた。現在上田小県地方では高札場の保存されている所は少ないので貴重である。」とあります。
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