信濃国分寺跡(上田市)概要: 信濃国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に開かれた国分寺の1つです。100間(約177m)四方の境内には南大門(南側の正門)・中門(南大門と金堂の中間にある門)・金堂(仏殿:本尊釈迦牟尼仏を安置)・講堂(経典の講義や説教をする施設)が南北一直線に並び中門と講堂は回廊でつなげ、講堂の東南に塔(法舎利:金光明最勝王経を安置)、東側に僧房(僧侶が生活する施設)を配置しています。これらの配置は国分寺式(東大寺式)の伽藍配置で当時の中央の文化がそのまま持ち込まれたと思われます。
発掘調査では八葉複弁蓮花文鐙瓦、均正唐草文字瓦をはじめ須恵器、土師器、硯など数多くの遺物が発見されています。詳細は不詳ですが、伝承によると天慶2年(939)の平将門の乱で一帯は将門と従弟である平貞盛との戦場となり堂宇の多くは兵火により焼失したとあり、その後は朝廷の衰退と共に衰微したと思われます。再興した際は跡地の向いにあたる現在の信濃国分寺の境内に移っています。信濃国分寺跡(面積:129,340u)は昭和5年(1930)に国指定史跡に指定されています。
信濃国分寺跡の伽藍
・ 金堂−桁行7間(基壇:29.20m)×梁間4間(基壇:19.20m)
・ 講堂−桁行9間(基壇:34.00m)×梁間4間(基壇:20.06m)
・ 塔−桁行3間(基壇:13.20m)×梁間3間(基壇:13.2m)
・ 中門−桁行5間(基壇:30.80m)×梁間2間(基壇:9.40m)
・ 回廊−幅:2間(8.10m)×延長:6間(19.8m)+20間(66.00m)+8間(24.50m)
・ 僧房−桁行11間(基壇:39.00m)×梁間4間(基壇:14.40m)
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-上田市教育委員会
|
|