保命水(上田市)概要: 保命水は明治14年(1881)に海禅寺の境内から湧き出る清水を木管で引き込んだのが始まりです。当初は町の北側と南側に石材を四角形に組んだ井戸を設置し、さらにその間に蛇口を2箇所設けて日常の生活水や非常用水として利用しました。昭和に入り上下水道が完備されるまでは、柳町住民の生活水であり北国街道を利用する人達の喉を潤しました。
当時はまだまだ、飲料水を確保するのは難しく行政の問題意識も低かった為、この保命水を維持する為には住民自らの努力が不可欠で日頃の清掃はもとより数年に一度の改修、修復には金銭的な負担も強いられました。昭和24年(1949)の水道事故には大きな役割を果たし、改めて保命水の有難さを知る結果となりました。しかし、上下水道が整備されるに従い保命水の利用も少なくなり、さらに都市化により井戸の姿も消えていきました。この井戸は保命水唯一残されたもので上田市の水道史上重要な存在である事から昭和42年(1967)に明治100年を記念して大改修が行われ後世にまで保存する事が決められました。
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