塩野神社(上田市)概要: 塩野神社は長野県上田市前山字塩野に鎮座している神社です。 塩野神社の創建は白鳳元年(661)、出雲大社(島根県出雲市)の分霊を独鈷山(標高:1266m)山頂付近にある鷲岩に勧請したのが始まりと伝えられています。現在地は元々塩野神社の遥拝所だった所でしたが参拝が不便になった為、後に本殿が移され、山頂には奥社が建てられました。古くから格式が高く延喜元年(901)に編纂された日本三代実録には貞観15年(873)に正六位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には上田・小県地方の5座ある式内社の1社として記載されています。ただし、上田市保野字塩野に鎮座する塩野神社も式内社を称し、江戸時代にはどちらが本社か争いとなり宝暦7年(1757)には幕府の寺社奉行の裁断を受けています。平安時代後期には木曽義仲に従った手塚別当金刺光盛の帰依を受けたようで、境内の馬場では光盛の兄である金刺盛澄の流鏑馬の訓練を行ったそうです。
歴代領主である塩田北条氏、武田氏、真田氏、上田藩(藩庁:上田城)主等から崇敬され、永禄11年(1568)には武田信玄から社領10貫文を、天正15年(1578)には真田昌幸から社領7貫文を寄進されています。古くから神仏習合し諏訪大明神や塩野大明神などと称されていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、明治6年(1873)に村社、明治28年(1895)に郷社、昭和19年(1944)に県社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されています。祭神は素盞嗚尊、大己貴尊、少彦名尊。参道は元流鏑馬で利用された馬場の跡とも云われ往時な名残が感じられます。
現在の塩野神社拝殿は江戸時代中期の寛保3年(1743)に建てられた、当時は勅使殿と呼ばれ諏訪大社(信濃国一宮)に見られる楼門形式の珍しい建物で、切妻、銅板葺、平入、間口1間2尺、奥行1間3尺5寸、上層部にはは花頭窓を設けるなど仏式が見られ棟梁は末野忠兵衛が手懸けています。本殿は寛延3年(1750)に建てられたもので棟梁は末野忠兵衛、一間社流造(桁行14尺8寸、梁間14尺5寸)、銅板葺き、向拝住や虹梁など細部にわたり繊細な彫刻が施されています。塩野神社拝殿・本殿は戸時代中期の神社本殿建築として当地方を代表する貴重な建物として平成3年(1991)に上田市指定有形文化財に指定されています。
塩野神社は社宝も多く、紙本墨書武田信玄の朱印状(和紙、縦30.0cm、横45.0cm)は永禄11年(1568)に武田信玄が武運長久を祈願した際に家臣である跡部美作守に命じて塩野神社の社領安堵を神官に対して確約したもので、昭和45年(1970)に上田市指定文化財に指定されています。木造獅子頭は第1面が室町時代初期に塩野神社に奉納されたもので、桐材、面高33.5cm、面奥44.5cm、面幅38.5cm、胡粉地彩色仕上げ。第2面が室町時代後期に奉納されたもので、松材、面高23.0cm、面奥46.5cm、面幅31.1cm、胡粉地仕上げ、両木造獅子頭とも貴重な事から昭和55年(1980)に上田市指定文化財に指定されています。
塩野神社の境内周辺は鎌倉時代後期に塩田北条氏が支配した塩田平と呼ばれる地域で、塩野神社をはじめ、前山寺や中禅寺、安楽寺、北向観音などの社寺が点在し信州の鎌倉と呼ばれ多くの観光客が訪れています。
塩野神社の文化財
・ 拝殿及び本殿-拝殿:寛保3年,楼門・本殿:寛延3年,一間社流造-市指定文化財
・ 紙本墨書武田信玄の朱印状-永禄11年-縦30.0p,横45.0p-市指定文化財
・ 木造獅子頭−室町時代−第1面:桐材・第2面:松材−上田市指定文化財
・ 前山三頭獅子−上田市指定無形民俗文化財
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-塩田平文化財保護協会
・ 現地案内板
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