西光寺(上田市)概要: 松本山西光寺は長野県上田市富士山に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。西光寺の創建は平安時代、真言宗の開祖である弘法大師空海が巡歴の折この地を訪れ大日如来・阿弥陀如来の2体の仏像を自ら彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。その後、塩田城主となった北条国時が出城から西の方角に崇高な光を見つけ、調べると2体の仏像を祀った小祠だったことがわかり、早速、鶏足寺(栃木県足利市)から実勝僧正を招いて西光寺を開山しました。
戦国時代には武田信玄の庇護を受け寺運も隆盛し、江戸時代初期の延宝6年(1678)に前山寺の末寺となり、享保元年(1716)には本堂が再建され、宝暦6年(1756)には山門である鐘楼門(入母屋、銅板葺、一間一戸、四脚楼門、高欄付)が建てられています。弘化3年(1846)に火災により本堂・庫裡が類焼しその後再建、阿弥陀堂や山門など幸いにも被害を免れています。信濃乃國塩田平札所霊場:番外札所。山号:松本山。宗派:真言宗智山派。本尊:大日如来。
現在の西光寺阿弥陀堂は室町時代後期に建てられたと推定される御堂建築で、木造平屋建て、寄棟、こけら葺、妻入、内陣が三間四面、前面の一間を外陣とし組物など細部には禅宗様を採用、室町時代後期の阿弥陀堂建築の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に長野県の県宝に指定されています。西光寺仁王門は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、内部に安置されている金剛力士像は鎌倉時代に制作されたと推定される像で須坂市の米子の不動寺にあったものを宝暦年間(1751〜1764年)に移されたという伝承を持っている古仏像、像高23cm、桧材、寄木造り、鎌倉時代に彫刻された長野県を代表する金剛力士像として評価が高く平成13年(2001)に上田市指定有形文化財に指定されています。紙本墨書武田信玄朱印状(和紙、縦28.3cm、横43.5cm)は元亀元年(1570)に西光寺が武田信玄に対して鎖張(仏具)を進上した事を受け、信玄は家臣である三枝勘解由左衛門尉に命じて西光寺に褒美を与えた事が記されているもので、大変珍しいものとして貴重な事から昭和55年(1980)に上田市指定文化財に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-上田市教育委員会
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