青木村: 大法寺

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概要・歴史・観光・見所
大法寺(青木村)概要: 大法寺の創建は飛鳥時代の大宝元年(701)文武天皇の勅願により定恵が開山したのが始まりと伝えられています。ただし、定恵は藤原鎌足の長子として皇極天皇2年(643)に生まれ白雉4年(653)に遣唐使と共に唐へ渡り神泰法師に師事、遊学の後天智天皇4年(665)に帰国し天智天皇5年(666)に死去している事から大法寺の創建年時には生存していな事になり、定恵が開基者とするのには疑問視する説もあります。一方、大宝2年(702)に境内近くに東山道が開削され「浦野駅」が設置された事から「駅寺」として開かれたとも考えられています。東山道は朝廷が整備した官道で、当時の政治の中心だった関西地方(奈良県・京都府・滋賀県)と陸奥国(現在の東北地方)を結んで、信濃国では当初、現在の上田市に国府や国分寺が置かれた事から当地が経路になったと思われます。その後、大法寺は一時衰退しましたが大同元年(806)には坂上田村麻呂が再興し、さらに永正2年(1505)に火災で多くの堂宇が焼失すると永正8年(1511)に戸隠山観修院(長野市:戸隠神社の別当寺院。明治時代初頭の神仏分離令により廃寺)の月如法印が再興しています。当初は開山した時の年号から大宝寺と称していましたが応源の代の元禄10年(1697)に現在の寺号である大法寺に改称し比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の末寺となっています。山号:一乗山。宗派:天台宗。本尊:釈迦如来。

大法寺の境内後方の高台にある三重塔は鎌倉時代末期の正慶2年(1333)に建立されたもので三間三層、宝形屋根、檜皮葺、高さ18.4m、工法、様式は和様によって統一されています。棟梁は天王寺(大阪の四天王寺流の大工と思われます)の四郎兵衛、他、御番匠7人で三重塔屈指の名作とされその美しさから"見返りの塔"の異名をち明治32年(1899)に国宝に指定されています。三重塔の前面に建立されている大法寺観音堂は江戸時代に建てられたものですが内部に安置されている厨子及び須弥壇は室町時代初期に制作されたと推定されています。厨子は一間厨子、入母屋造、本瓦形板葺で棟に施されている木彫鯱は日本最古の鯱と言われています。須弥壇は唐様須弥壇、高欄付で厨子と共に昭和27年(1952)に国指定重要文化財に指定されています。

大法寺の文化財
 ・ 大法寺三重塔−元弘3年−三間三重塔婆、宝形、桧皮葺−国宝
 ・ 木造十一面観音立像−平安末期−桂材、一木造、像高171cm−国重文
 ・ 木造脇侍普賢菩薩立像−平安末期−桂材、一木造、像高107cm−国重文
 ・ 大法寺観音堂厨子及び須弥壇−室町時代初期−国指定重要文化財
 ・ 銅製鰐口−康暦2年−径45.5cm、厚15.6cm−長野県県宝
 ・ 仏涅槃図−享保3年−縦135.6cm、横130.6cm−青木村指定文化財
 ・ 榧−推定樹齢約400年−樹高約20m、幹周囲7.3m−青木村指定天然記念物

大法寺:写真

大法寺
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